第十五章:テロリズムのルーツは共産主義

目次

序文

共産主義政権下の国家テロ

共産主義がテロを輸出する方法

イスラム過激派のルーツは共産主義

  1. サイイド・クトゥブ: イスラム過激派のマルクス主義者
  2. レーニン主義の前衛隊:ジハード
  3. イスラム過激派の中心は共産主義
  4. クトゥブとテロの興り
  5. いかにして共産主義が一般的なイスラム教徒を犠牲にしているのか

テロ活動を支援する中国共産党

  1. ヤセル・アラファトのテロ活動を支援する中国共産党
  2. 中国共産党とアルカイダの深い繋がり

結論

参考文章

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序文

2001年9月11日朝、テロリストにハイジャックされた飛行機がニューヨークの世界貿易センターとワシントンの国防総省本庁舎(ペンタゴン)に突入し、3000人近くの人々が死亡した。アメリカ本土がこのような大規模な攻撃を受けたのは、日本軍によるパールハーバー襲撃以来、初めてのことだった。9.11は世界中に衝撃を与えた。アメリカは「対テロ戦争」を掲げ、アフガニスタンのイスラム政権とイラクのサダム・フセイン政権を打倒すると宣言した。

アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンが連日メディアで報道され、誰もがテロについて知るようになった。しかし、テロと共産主義が密接に関係していると気づいた人は少なかった。

「テロリスト」または「テロリズム」という言葉が最初に登場したのは、1795年である。フランス革命の後に起きた「恐怖政治」(Reign of Terror)が語源である。これが共産主義運動の基礎を築いた。(第二章を参照)【1】

現代世界で起こるテロの形式は主に三つ。共産主義政権下の国家テロ、暴力的革命を広げることを目的とした共産主義スパイによる外国でのテロ活動、そして、イデオロギーと手法を共産主義から借用したイスラム過激派によるテロである。

1.共産主義政権下の国家テロ

共産主義の世紀は虚言、暴力、殺人に満ちている。特に、テロは共産主義イデオロギーを世界に拡散するための重要な手法だった。共産主義政権が樹立すると、例外なく、国家機関を総動員した残虐な恐怖政治が始まる。この政府主導の抑圧が国家テロである。

ウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)がロシアで政権を樹立できたのは、テロのおかげである。革命の英雄と称えられ、レーニンのお気に入りだった秘密警察(チェーカー)の指揮官フェリックス・ジェルジンスキー(Felix Dzerzhinsky)は1918年に言った。「われわれは組織的なテロに賛成だ。これは、率直に告白するべきだ」【2】

マルクス主義者のカール・カウツキー(Karl Kautsky)は1919年に出版した『テロリズムと共産主義』(Terrorism and Communism)の中で、当時レーニンが樹立しようとしたプロレタリアートによる独裁政権のもとで、何が起きるかを予見した。フランス革命期の暴力を詳細に研究していたカウツキーは、レーニンのボルシェビキがジャコバン(Jacobins)の遺伝子を引き継ぎ、同じことを繰り返すだろうと語っている。【3】

ロシアの歴史家ユーリ・アファナーシェフ(Yuri N. Afanasyev)は、暴力と無法の国家テロを導入したレーニンを批判し、「われわれの歴史全体が暴力である」と指摘している。【4】

ソビエト連邦が樹立すると、共産主義政権はさまざまな独裁者を生んだ。ジョセフ・スターリン、毛沢東、ポル・ポト、フィデル・カステロ、エーリッヒ・ホーネッカー(Erich Honecker)、ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceaușescu)、金日成など。彼らは皆、人々を殺害することによって権力を維持したのである。彼らの国家テロによる残虐な暴力については、前の章で詳述している。

暴力と殺人は共産主義によるテロ活動の一部である。さらに破壊的なのは、共産主義が政治権力と宗教的な熱情を利用して、人々を共産党文化で洗脳すること。その結果、人々の心に植えつけられた虚言、憎悪、暴力は世代を超えて伝えられるのだ。

2.共産主義政権がテロを輸出する方法

国家テロで自国民を抑えつける一方、共産主義政権は他国のテロ組織を支援する。その目的は、革命を巻き起こす事と、敵国の安定を脅かすことである。

反共産主義者で紛争学研究所所長ブライアン・クロージャー(Brian Crozier)は、長年の研究の中で発見した共産主義とテロの関係について、多数の著作や論文で発表している。彼は反共産主義のリーダーであるロナルド・レーガン大統領やマーガレット・サッチャー首相の元顧問であり、共産圏によるテロ活動についての専門家である。【5】

元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の大佐で後にアメリカに亡命したスタニスラブ・ルネブ(Stanislav Lunev)は、世界で暗躍するテロリストたちを指導したGRUを厳しく批判している。【6】

反米過激派グループ(パレスチナ解放人民戦線、日本赤軍、イタリアの赤い旅団、ドイツ赤軍、トルコの武器密輸組織、南米のゲリラなど)はすべて、ソ連のKGBから支援を受けていた。

1975年、アテネ事務所にいた米中央情報局(CIA)の局長リチャード・ウェルチ(Richard Welch)がギリシャのマルクス主義者に暗殺された。【7】1979年、NATO司令官のアレクサンダー・ヘイグ(Alexander Haig)は、ブリュッセル近くでドイツ赤軍から標的にされた。ヘイグの乗っていた車が橋に差し掛かったときに地雷が爆発し、ヘイグの車は辛うじて難を免れたが、後続車にのっていたボディガード3人が負傷した。1981年9月、ドイツのハイデルベルクでドイツ赤軍が対戦車砲を用いて軍司令官のフレデリック・クローセン(Frederick J. Kroesen)を暗殺しようとした。

しかし、今日、最も悪名高い事件と言えば、イスラム過激派によるテロである。彼らはイスラム世界を不安定にするために、ソビエト圏によって育てられた。

20世紀前半まで欧米の植民地だった中東の多くの地域が独立を目指す一方、ソビエトはその隙間に介入した。今日、中東はイスラム教の派閥、アラブとイスラエルの対立、冷戦、石油利権、西洋文明とイスラム文化圏の対立など、複雑で混沌とした状況におかれている。

このような背景のもと、ソ連はイスラム圏への浸透を図った。この二つの文化は、一見、矛盾しているように見えるかもしれない。アブラハムの宗教でアラーを神と崇めるイスラム教は、宗教根絶を主張するマルクス・レーニン主義と相容れないのではないだろうか?

共産主義運動は疫病のように、あらゆる方向へと伝染していく。共産主義は、最初に失敗こそしたが、10月革命後すぐにイスラム世界へ侵入した。

1920年6月、ボルシェビキはイラン北部のギーラーン州に設立されたイラン・ソビエト社会主義共和国(通称ギーラーン共和国)を支援した。同共和国の政権は、地主の財産を没収するなど数々の過激な改革を行った。その後、政権は反宗教プロパガンダを導入したが、市民から反感を買い、翌年に崩壊した。

その後、「イスラム社会主義」という概念が浸透した。その代表格はパレスチナ解放機構(PLO, Palestinian Liberation Movement)のヤセル・アラファト(Yasser Arafat)である。彼は1969年の設立から2004年に死亡するまで同組織の議長を務めた。もう一人の著名人は第二代エジプト大統領ガマール・アブドゥル=ナーセル(Gamal Abdel Nasser)で、1954~70年に死亡するまで在任した。ソ連と中国共産党の支援を受けていたPLOは、世界中のテロ活動に関わっていた。

冷戦時代、アルジェリア、南イエメン、アフガニスタンはそれぞれ共産主義政権下にあった。1979年、ソ連はイスラム圏に残る共産主義政権を強化するためアフガニスタンへ侵攻し、10年間その地域を占領した。

信心深い地域に共産主義を樹立するのは容易ではない。ソ連が社会主義革命を直接イスラム圏に輸出する方法は失敗に終わっている。しかし、ソ連は共産主義政府の樹立自体には失敗したが、現代のイスラム過激派の誕生と発展には大きく寄与した。

共産政権下のルーマニアで中将を務めたイオン・ミハイ・パチェパ(Ion Mihai Pacepa)という人物がいる。元ルーマニア大統領ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceauşescu)の顧問を務め、ソ連のロシア対外情報庁の副長官やロシア内務省の長官だった人物で、1978年7月にアメリカへ亡命した。彼はソ連圏から亡命した人物の中で最も上級クラスだった。

パチェパは「ロシアの足跡」という記事の中で、いかに共産主義が中東のテロを支援していたかについて詳細に語っている。【8】彼はロシア対外情報庁長官のアレクサンドル・サハロフスキー(Aleksandr Sakharovsky)の言葉を引用した。「今日の世界では、核武装はすでに軍事力としては時代遅れだ。テロリズムをわれわれの主要な武器としなければならない」

1969年だけで、82機の飛行機がハイジャックされた。その多くはソ連や中国共産党の支援を受けたPLOが関与していた。パチェパはサハロフスキーの事務所を訪ねた時に、小さな赤い旗がたくさん点在する地図があるのに気づいたと語っている。個々の旗は、ハイジャックした飛行機を表していたのである。

サハロフスキーは、飛行機のハイジャックは自分のアイデアだと誇らしげに話したという。1968~78年の間、ルーマニアの国家保安局はレバノンにいるパレスチナのテロリストたちに毎週、武器を空輸していたという。東ドイツ崩壊後に公開された公文書によると、1983年、東ドイツ対外情報庁は187万7600米ドル相当の自動小銃をレバノンにいるテロ組織に供与していた。チェコスロバキアは、イスラム系テロリストたちに1千トンのセムテックス(高性能プラスチック爆薬)を供与した。

1970年代初頭、元KGB議長で後にソビエト共産党書記長を務めたユーリ・アンドロポフ(Yuri Andropov)は、密かに、綿密に計画されたプロパガンダを展開し、イスラム世界に反ユダヤ主義、反アメリカ主義という憎悪の種を蒔いた。彼のあだ名は「偽情報時代の父」である。【9】

3. イスラム過激派の根源―共産主義

2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件は、世界情勢に大きな変革を与えた。イスラム過激派が注目を集めるにつれて、ウサマ・ビンラディンと彼が率いるアルカイダが連日のように脅威として報道された。

世界の人々にとって9.11は衝撃的で悲惨な事件だったが、中国共産党の検閲下におかれた中国での反応は全く違っていた。インターネットでの掲示板やチャット・ルーム、また大学の食堂でも、大部分の人々はテロリストに声援を送ったのである。書かれたコメントの例としては、「よくやった!」「アメリカに反抗した正義の行動を強く支持する」などである。中国の著名なウェブサイトNetEaseで行われたアンケート調査によると、9万1701人のうち、テロ攻撃に強く反対すると答えたのは17.8%に留まり、大部分は事件に対して「アメリカに反対する」あるいは「まだ足りない」と答えた。【10】

テロを支持する中国人たちは、ビンラディンやその仲間に会ったこともないはずだが、彼らの俗悪な考え方のルーツは同じである。中国人たちは子どもの頃から共産主義のプロパガンダと共産党文化によって汚染されている。論理的に考えると、頭を捻る人も出てくるだろう。アフガニスタンでソ連と戦ったビンラディンが、なぜアメリカを攻撃しなければならないのか?

ビンラディンが信奉したイスラム過激派のイデオロギーは、イスラム系テロリストの先駆けであるエジプト人のサイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)に遡る。彼はイスラム・ジハード(聖戦)のマルクス【11】とも、また「現代版ジハードの生みの親」とも称される。【12】

a. サイイド・クトゥブ: イスラム過激派のマルクス

対テロ作戦に詳しいウィル・マカンツ(William McCants)によれば、イスラム過激派は往々にしてクトゥブの思想を原動力としており、彼らの多くは自身がクトゥブの後継者だと自認している。【13】ビンラディンの死後、アルカイダの指導者となったアイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)は、クトゥブの思想が自分のジハードに火をつけたと語っている。

2016年、中近東専門家のハサン・ハサン(Hassan Hassan)は、カーネギー国際平和基金による『The Sectarianism of the Islamic State: Ideological Roots and Political Context(仮題:セクト主義のイスラム国―イデオロギーのルーツと政治的背景)を発表した。

報告書の最後の章で、ハサンはテロリストグループであるイスラム国の本質的な教義を引用している。「イスラム国はサイイド・クトゥブによって構想が描かれ、アブドゥッラー・アッザームによって説かれ、ウサマ・ビンラディンによってグローバル化され、アイマン・ザワヒリによってそれが実現化に移され、アブー・バクル・アル=バグダーディーによって実行された。その他にもアブ・ウマルとアブ・バカルがいる」【14】

ビンラディンと後のイスラム国はクトゥブのイデオロギーを適用し、拡大した。簡単に言うと、クトゥブ主義は暴力の追及であり、腐った旧社会あるいは「ジャヒリヤ」(イスラムが統治する前の社会)を破壊することである。いわゆる「人類の解放」がやってくるというイデオロギーのために、命を捧げるようジハードの戦士たちに呼びかけるのである。【5】

この大げさな呼びかけは、マルクスとレーニンの文体を思わせるし、またそれには理由がある。クトゥブは若い頃、共産党のメンバーであり、彼の思想にはマルクス・レーニン主義の美辞麗句が沁み込んでいる。アメリカ合衆国上院外交委員会のシニア・フェローであるロバート・R・レイリー(Robert R. Reilly)によれば、クトゥブはエジプト・ムスリム同胞団とエジプト共産党のための、コミンテルン対外連絡部に所属していた。【16】

1906年に生まれたクトゥブは、1920年代後期と1930年代に社会主義と文学を学んだ。1950年代までに彼はアメリカに2年留学し、エジプトに帰国してからムスリム同胞団に加入した。【17】彼はエジプトの「自由将校団」を率いる社会主義者のガマール・アブドゥル=ナーセル(Gamal Abdel Nasser)とも親交があった。

1952年、ナーセルと自由将校団はクーデターを起こし、英国に近かったムハンマド・アリー朝を廃止した。この社会主義革命のクーデターは、クトゥブとムスリム同胞団がナーセルと共に画策したと言われている。しかし、クトゥブはナーセルがイスラム政権を樹立することを望んでいたかもしれないが、ナーセルは世俗化の道を選んだ。1954年、ナーセルはムスリム同胞団に対する弾圧を始めたのである。

クトゥブと同胞団はナーセルの暗殺を企てたが失敗し、クトゥブは投獄された。3年間の服役中、クトゥブは過酷な拷問に晒された。後に監視が緩くなると、彼は書くことを許された。牢獄にいる間、彼は二つの重要な作品を残した。『In the Shade of the Qur’an』(仮題・コーランの影の中で)と、『Milestones』(仮題:マイルストーン)である。この二つの著作は、彼のコーラン、イスラムの歴史、エジプト、西洋社会に対する見解、彼の反世俗主義、極端な反西洋主義を表している。

クトゥブは一度、短期間だけ釈放された。彼はその機会に亡命せず、再び投獄された。1966年、クトゥブはナーセル暗殺を企てたとして有罪判決を受け、絞首刑に処された。

クトゥブの破壊的な思想は、イスラムの「ジハード」に新たな解釈を与えた。多くの人にとって、ジハードとは「聖戦」を指し、アラビア語では単に苦闘、抗争を意味する。主流のイスラム教徒にとって、この言葉は内的な戦い(自己を高めること)あるいは外との戦い(防御)という意味である。【18】クトゥブはその定義を押し広げ、積極的でタガの外れた暴力を「聖戦」とし、理論的根拠を与えた。【19】クトゥブは堂々と絞首台に赴き、宗教的な殉教者になる道を選んだ。

クトゥブ哲学によれば、世俗の法律や倫理に準ずる社会制度はすべて反イスラムの「旧社会」、つまりジャヒリヤ(宗教的に無知な時代を指す。イスラム教が普及する前の社会)である。イスラムが普及している社会でさえも、ジャヒリヤなのである。クトゥブは自身が暮らすエジプトもジャヒリヤが支配する社会であるため、転覆すべきだと考えた。【20】

クトゥブによれば、ジャヒリヤはイスラム教徒にとっても、非イスラム教徒にとっても邪魔な存在であり、イスラムの価値観と法律の普及を妨害する存在である。クトゥブは、旧社会が押し付けられ、その過程で人々は自由が奪われていると主張した。そして、これらの奴隷化された人々(マルクスの労働者階級と類似する)は、ジハードを起こしてジャヒリヤによる抑圧を破壊する権利がある。クトゥブは、ジハードがイスラム教徒も非イスラム教徒をも含む人類全体を解放すると主張した。【21】クトゥブの著作に対して、多くのイスラム系リーダーたちは極端で異端な思想だと考えた。【22】

クトゥブは更に、マルクスの「虚偽意識」(一般民衆が支配者の観念や文化を受容するという概念)を引用した。つまり、大衆は自分たちが抑圧されていることを認識できず、資本主義を転覆して社会主義を実現するのを阻害している意識のことである。クトゥブにとって、ジャヒリヤのもとで暮らしている人々は奴隷化されていることに気づいておらず、そのためジハードに参加して自分を解放しようとしないのである。【23】

「何をなすべきか?」とレーニンは彼のパンフレットで問いかけた。同様の疑問を持ったクトゥブは、レーニンに答えを求めたのである。

b. レーニン主義の前衛隊―ジハード

クトゥブの文章は、マルクス・レーニン主義で使われた言葉で溢れている。「前衛隊」「国家」「革命」などである。レーニンが苦境に直面し、パンフレットに「何をなすべきか?」を書いていた時の状況は、クトゥブが自身の過激なイデオロギーを形成した時期と似ている。レーニンは、革命を成功させるにはプロレタリアートによる前衛隊(つまり共産党)が必要だと考えた。クトゥブはこの理論を模倣し、レーニンの共産党に代わってイスラム過激派組織を提唱した。

レーニンは組織と前衛隊を重んじていた。彼は自発性と意識の違いを明確に認識し、党の結成を主張した。レーニンによれば、自発的な行動に頼ると、労働者は賃上げや8時間労働などの表面的な要求しか達成できず、人類解放のための意識に欠けるのである。

レーニンは外部の前衛隊(通常、教育の高いブルジョワジーの知識人)が必要であり、彼らによって労働者を教化する必要があると考えた。それによって、労働者たちは革命の道だけが、彼ら自身を含む全ての人類を解放するという認識に達する。前衛隊を十分に利用するには、緊密な政党を組織し、活動を管理してプロの革命家として地下活動に関わる機会を与える。この政党がつまりプロレタリアートの政党であり、プロレタリアートの前衛隊である。【24】

カリフォルニア州モントレーのネイバル・ポストグラデュエイト・スクールで助教授を務める中東情勢専門家のグレン・E・ロビンソン(Glenn E. Robinson)は、イスラム過激派について次のように説明する。「ジハードのイデオロギーがレーニンに啓発されたわけではないことは明白である。しかし、特にサイイド・クトゥブの概念と理論は、それを裏切ったのである。1940年代にエジプトで教育を受けたクトゥブは、もちろんレーニンの文章を目にしたはずだ。クトゥブの二つの概念は、レーニンに直接由来している。ジャマー(前衛隊)と、マンハジ(プログラム)である。【25】

レーニン主義から借用したクトゥブは、レーニンの前衛隊を真似たムスリム団を組織することを提唱した。

「クトゥブはムスリム世界に向けて、全く同じ主張を展開した」とロビンソンは説明する。「ムスリムの大部分は不正な反イスラム社会に捕らわれ、腐敗しているため、いつ、どのように武器を取って国家に立ち向かうべきなのかを知らない。直接国家へ反撃できるような、献身的なジハード前衛隊が組織されなければならない」【26】また、「レーニンが主張した前衛隊による中央集権化と、詳細で継続的なプログラムを用いて革命を実行し確固たるものにすることなども、クトゥブはイスラム調の文体で同様に模倣した」【27】

クトゥブはこの前衛隊を「真のムスリム」(あるいは過激派)と呼んだ。クトゥブにとって、前衛隊はムスリムと人類文明全てを解放する使命を負う。前衛隊は偽のムスリムを打倒し、クトゥブが解釈したイスラムのイデオロギーに則り、イスラム国家を樹立し、暴力でイスラムを世界に強制する。

前衛隊の他にも、クトゥブの理論に含まれる言葉は、「社会平等」、あるいは階級の根絶、反政府活動、人類の解放である。【28】これらの主張は、共産主義が表明している目標と全く同じである。

クトゥブの死後、彼の思想を引き継いだ弟のムハンマド・クトゥブが本を出版した。1993年に出版された彼の著書『Ma’arakat ul-Islam war-Ra’samaaliyyah』には、クトゥブの共産主義の思想が露わになっている。クトゥブはイスラムについて、こう述べている。「ユニークで建設的な、ポジティブな六信であり、キリスト教と共産主義を融合し、造られ、形成された信条である。その融合は最も完璧であり、すべての(つまりキリスト教と共産主義)目標を含み、調和、バランス、正義が加わったのである」【29】

c. イスラム過激派の中心は共産主義

イスラム過激派の中心思想は、マルクス理論の一つである階級闘争である。マルクスはプロレタリアートとブルジョワジーの対立を深め、革命しか「解決」できないとする状況まで泥沼化させることに一生を捧げた。イスラム過激派にも同様の仕組みが働いている。

マンハッタンの世界貿易センタービルの破壊は、クトゥブが描くムスリム世界の実現に役立っただろうか?もちろん否である。それは単に、西洋とムスリム世界の対立を悪化させただけである。欧米でのテロ事件はムスリムに対する憎悪を煽り、ムスリム諸国での事件はその逆である。【30】過激派のやり方は、マルクスやレーニンが推奨したプロレタリアートとブルジョワジーの対立のようである。どちらも、革命に必要な対立を作り上げる。

クトゥブの理論は、伝統的なイスラムよりも、はるかに共産主義に類似していると言っても過言ではない。イスラム過激派は宗教的に共産主義に反対しているかもしれない。しかし、実際に彼らが吸収しているのは、共産主義由来の、生粋の革命教義である。ある人物は、こう述べている。「ここで主張しているのは、つまり自由社会が対峙している真の敵がいまだに共産主義だということである。イスラム過激派は、単に伝統的なイスラム教の外套に過ぎず、それをまとっているのは共産主義である」【31】

暴力的な過激主義が導入されているのは、イスラム世界だけではない。西洋のカウンターカルチャー(対抗文化)が左翼のイデオロギーを世界に広め、その中にはレーニンのテロ指導も含まれていた。フィンランドの政治歴史学者アンテロ・レイツィンガー(Antero Leitzinger)は、現代のテロリズムは1966~67年に生まれ、その時期は共産主義インターナショナルが発達した時と重なると指摘する。1960年代、欧米で過激な学生運動が盛んだった頃、ムスリム留学生たちが左翼思想の影響を受け、そのまま暴力的な革命思想を本国へ持ち帰った。【32】

1974年、カイロのアメリカ大学メディア研究教授アブダラ・シェルファー(Abdallah Schleifer)は、後にアルカイダのナンバー2になるアイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)に会った。当時カイロ大学で薬学を学んでいたザワヒリは、イスラム過激派グループは多くのエリートを医学部やエンジニア学部から採用したと誇らしげに語ったという。1960年代、これらの学部には若いマルクス主義者が集中していたため、シェルファーは特に驚かなかったと述べている。彼によれば、イスラム主義とは単なる1960年代に起きた若者の反抗を象徴する流行だった。

シェルファーは回想している。「私は言いました。「聞いてくれアイマン、私は元マルクス主義者だ。君と話していると、僕はまるで共産党にいた時のように感じるよ。君が伝統的なムスリムだとは思えない』」【33】

興味深いのは、多くの人々がイスラム過激派とファシズムを関連づける一方、さまざまな理由から、誰も共産主義について触れることはない。ファシズムは国家主義の形式であり、特に宗教的な背景はない。イスラム過激派の全体的なアプローチと教義を考慮すると、多くが共産主義と類似しているのは明らかである。

d. クトゥブとテロの興り

クトゥブの思想は、パレスチナの学者やアルカイダ創設者アブドゥッラー・アッザームを含む多くの若いアラブ人を惹きつけた。【34】9.11委員会レポートは、クトゥブに影響されたビンラディンの世界観について説明し、アッザームを「クトゥブの弟子」と称している。【35】

サイイド・クトゥブの弟であるムハンマド・クトゥブもクトゥブ思想を拡散する主要な人物である。ムハンマド・クトゥブは後にサウジアラビアで教授としてイスラム研究に携わり、同時に彼の兄の理論を本にして出版した。

学生だったビンラディンはクトゥブの著作を読み、ムハンマドの公開講座にも出席していた。ジェームズタウン財団の研究者で、CIAのビンラディン監視グループに所属していたマイケル・シェアーは、ムハンマド・クトゥブはビンラディンの助言者(メンター)であると指摘している。【36】

上記に述べたアルカイダのナンバー2アイマン・ザワヒリも、サイイド・クトゥブの熱狂的な信者である。【37】彼の叔父は、クトゥブが人格者であり、いかに監獄で苦しみを受けたかを何度も語ったとされる。【38】クトゥブの死後、ザワヒリは彼の回想録に書き残している。「ナセリート(エジプト大統領)政権は、サイイド・クトゥブと仲間の処刑によって、イスラム運動が打撃を受けたと思っている。しかし、平穏な水面下では、サイイド・クトゥブの思想と、現代イスラムのジハード運動の核が、エジプトですでに繋がっていたのである。」【39】

クトゥブが絞首刑に処されると、当時15歳だったザワヒリは「クトゥブ主義を行動に」というスローガンを掲げ、地下活動に移った。【40】後にザワヒリはエジプト・イスラムジハード団に参加し、ビンラディンのメンターとしてアルカイダの重要な地位についた。ビンラディンの死後、ザワヒリがアルカイダの指導者となった。

中東専門家グレン・ロビンソン(Glenn E. Robinson)は、スンニ派のムスリムにとって、暴力的なジハードを主張したクトゥブは最も重要な思想家だと指摘する。【41】実際に、スンニ派ジハード団の概念や革新は、すべてクトゥブの本に書かれている。【42】さまざまなジハード団の形式は異なるかもしれないが、その中にはある共通点が存在する。それは、イスラムという政治目標のもとで、暴力を使うことである。【43】

1981年、アンワル・サダト(Anwar Sadat)大統領はエジプトのイスラム過激派ジハード団によって暗殺された。1990年代、イスラム集団(al-Gamma al-Islamiyah)は政府高官、世俗的な知識人、エジプトのキリスト教徒、観光客などを標的に殺害した。これらはすべて、クトゥブのビジョンを実現化するキャンペーンの一部である。【44】

クトゥブのイデオロギーを追及する過激なジハード団は、サラフィー・ジハード主義に分類される。オーストラリア・ラトローブ大学の政治学者ロバート・マンネ(Robert Manne)は、クトゥブを「サラフィー・ジハードの父」「イスラム国の先駆け」と指摘する。【45】彼は著書『The Mind of the Islamic State: ISIS and the Ideology of the Caliphate』(仮題:イスラム国のマインド:ISISとカリフのイデオロギー)の中で述べている。「サイイド・クトゥブが処刑されてから50年が経ち、これが現在に形成されたサラフィー・ジハード主義の伝統とイスラム国の考え方である。そこには何も越えるべきマイルストーン(道しるべ)は存在しない。われわれは最終的に、地獄の門にたどり着いたのである」【46】

アメリカのランド研究所がまとめた『A Persistent Threat: The Evolution of al Qa’ida and Other Salafi Jihadists』(仮題:頑固な脅威:アルカイダとサラフィー・ジハード主義の進化)の中で、40以上のサラフィー・ジハード団が列記されている。彼らは世界中の国々で活動中である。【47】

現存するさまざまなイスラム過激派グループには一見、まとまったビジョンもなく、イデオロギーの対立などが見受けられる。しかし、彼らのほぼ全てに共通する要素が存在する。それは、クトゥブの破壊的なジハードという形式である。これはクトゥブ思想から由来したやり方であり、共産主義革命の別の形式である。

e. 共産主義者が一般的なイスラム教徒を騙す手口

アメリカ国家テロ対策センター2011年報告書によると、「宗教的なテロによる犠牲者を統計すると、過去5年間で、死傷者を出した82~97%のテロ事件の犠牲者はムスリムである」【48】

2016年の「テロに関する国家レポート」は、その年だけで1万1072件のテロ事件と2万5621人の死者数があったと報告している。さらに、テロ事件が発生するのは圧倒的にムスリムが主流の国や社会である。「2016年、104カ国でテロ事件が起きたが、発生場所の地域は集中している。55%の事件は5カ国(イラク、アフガニスタン、インド、パキスタン、フィリピン)で、テロ攻撃による死亡者のうち75%は5カ国(イラク、アフガニスタン、シリア、ナイジェリア、パキスタン)に集中している」【49】

それに比べて、欧米におけるテロ攻撃は遥かに少ない。ケイトー研究所がまとめた『Terrorism and Immigration: A Risk Analysis』(仮題:テロと移民―危機の分析)によると、1975~2015年に、移民あるいは観光客としてアメリカに入国した外国生まれのテロリストたちは、アメリカで起きたテロ殺人で死亡した3432人のうち、3024人の殺害に関与した。この数字には9.11で死亡した2983人も含まれている。【50】年平均74人のアメリカ人がテロ事件により死亡している。

イスラムを掲げて活動する過激派グループの最大の犠牲者はイスラム教徒である。その理由は、表面的な大義名分が何であっても、テロの真の動機は殺人と破壊への欲望だからである。

4. テロを支援する中国共産党

中国共産党は長い間、パレスチナのテロリスト指導者ヤセル・アラファトを含む海外のテロ活動を支援してきた。旅客機のハイジャックを助け、米軍を標的にしたアラファトは、ウサマ・ビンラディンに啓発を与えた。

a. ヤセル・アラファトのテロ活動を支援した中国共産党

アラファトは1959年に政党ファタハ(Palestinian National Liberation Movement)を設立し、1988年11月にパレスチナ国家を樹立した。2004年に死亡するまで、彼はさまざまなパレスチナ軍組織の指導者だった。アラファトは、中国共産党のお気に入りの人物である。彼は中国を14回訪問し、毛沢東、周恩来、鄧小平、江沢民を含むほぼ全ての共産党指導者と会談した。

1964年、al-Asifahというファタハの軍組織を設立した直後、アラファトは中国の首相・周恩来と会うために北京へ飛んだ。周恩来はアラファトに対して、彼らの戦略に留意し、イスラエルの完全な破壊といった、逆効果のスローガンを使わないようにと助言した。【51】

中国政府はパレスチナに対して武器と資金を提供すると同時に、アメリカやイスラエルに対していかに闘争を遂行するかについても指導した。その一方で、中国は世界で影響力を拡大していた。中国に招かれた多くのパレスチナ人たちがテロの訓練を受け、1965年1月、アラファトはゲリラ組織による対イスラエル戦争を宣言した。1965年5月、パレスチナ解放機構(PLO)が北京に事務所を構えた。中国は異例の速さでPLOの事務所に外交上の特権を与え、国際的な場面で公にPLOを支持したのである。

1988年11月、第19回パレスチナ国民評議会は、パレスチナの独立を宣言した。北京は直ちにそれを承認し、11月20日に外交関係を締結した。

アラファトと当時の共産党国家主席・江沢民は2000年と2001年にお互いを訪問した。当時、パレスチナとイスラエルの間では大規模な対立が起こっていた。イスラエルは暴動事件に関与したアラファトを繰り返し批判した。中国共産党の支援を受けていたアラファトは、アメリカとイスラエルに対峙し、さらに中東の安定にダメージを与えた。

PLOとファタハは公の、あるいは地下のさまざまな軍事テロ活動に関与した。彼らは、暴力的な革命のみが国家を解放するという共産主義と同じイデオロギーを持っていた。アラファトは、その他の共産主義国家とも親交があった。彼は社会主義インターナショナルのメンバーであり、ファタハは欧州社会党のオブザーバーでもある。【52】

アメリカとイスラエルは、中東で起きた数々のテロ事件の首謀者として、アラファトを監視した。米ホワイトハウスはファタハとPLOをテロ組織と断定し、1987年にパレスチナ情報事務所を閉鎖した。【53】

1970年、ファタハはヨルダン国王フセイン1世ビン・タラールの暗殺を企てたが失敗した。【54】同年9月、ファタハはイギリス、ドイツ、スイス発の旅客機3機をテレビカメラの前でハイジャックした。テロリストによれば、飛行機をハイジャックした方が、100人のイスラエル人を戦場で殺すよりもインパクトがあるという。【55】

1972年、ファタハの分派テロ組織「黒い九月」がミュンヘンオリンピック村に滞在していたイスラエルの選手11人を殺害した。この計画を立案し、実行したのはファタハ情報部のトップでアラファトの右腕だったアリ・ハサン・サラメ(Ali Hassan Salameh)だった。ミュンヘンオリンピック事件では11人のイスラエル人が殺害され、その他に西ドイツの警察官も殺害された。【56】アラファトは初めて一般市民を標的にした人物である。

b. 中国共産党とアルカイダ

中国共産党はアルカイダと幅広い交流がある。接触が始まったのは、アルカイダとビンラディンを匿(かくま)っていたタリバンとの蜜月の時代に遡る。1980年、中国はアフガニスタンにいるムジャヒディーン(ジハードに参加する戦士たち)に300人の軍事顧問を派遣し、新疆のカシュガルやホタンにある軍事施設で、武器の使い方、軍事戦略、プロパガンダ、スパイ活動の方法を教えた。

新疆は、対ソ連の戦闘に参加するアフガニスタンのムジャヒディーン養成キャンプ場となった。ソ連がアフガニスタンから撤退するまで、中国軍は少なくとも数千人のムジャヒディーンを育成した。彼らに銃、ロケットランチャー、対空ミサイルなどを提供し、その総額は4億ドルに上る。【57】

タリバンがアフガニスタンを占拠し、ビンラディンを匿った後も、中国共産党はタリバンやアルカイダと密接な関係にあった。アルカイダがアメリカ大使館や米海軍を爆破し、タリバンがビンラディンの引き渡しを拒否しても、中国共産党は国連によるタリバン制裁に反対した。中国政府はアルカイダに1000万ドルを与え、不発の米ミサイルを購入させて、自国の技術発展につなげようとした。【58】

同時に、中国共産党は国家ぐるみのテロ組織に対して高度な軍事技術を提供し続けた。【59】2000年末、国連安保理がタリバン地域に存在するビンラディンのテロ養成キャンプを閉鎖させるため、タリバンへの制裁措置を提案したが、中国が投票を棄権した。その後、中国共産党は秘密裏にタリバンとの交渉を続け、華為(ファーウェイ)の技術でタリバン政権がアフガニスタン全土に軍事通信システムを敷くことに合意した。【60】9.11当日、中国とタリバンは経済・科学分野における協力関係を結ぶ契約に署名した。【61】

驚くべきことは、1999年出版の本『超限戦』の著者である2人の中国軍幹部が、9.11以降、国家のヒーローとしてもてはやされていることである。彼らは本の中で、もしニューヨークにある世界貿易センターが攻撃されたら、アメリカは複雑なジレンマに陥るだろうと指摘していた。著者はさらに、そのような計画を実行できる組織としてアルカイダを挙げていた。【62】中国政権のいわゆる「超限戦」がビンラディンの実行計画にヒントを与えたと言ってもいいだろう。

中国はタリバン政権への制裁決議を棄権しただけでなく、アメリカがアフガニスタンに対して軍事攻撃を開始した後にも、中国はタリバンに対して軍事支援を提供していたのである。9.11以降初めて、アメリカの情報局は、中国軍に近いZTEと華為がアフガニスタンの首都カブールに電話通信網を設置するタリバン政権を援助していたことを知ったのである。【63】

2004年、中国スパイがペーパーカンパニーを設立し、ビンラディンのための資金集めや世界の金融市場における資金洗浄(マネー・ロンダリング)を行っていたことが発覚した。【64】

ベルリンの壁が崩壊し、共産主義陣営は破滅の寸前に追い込まれた。ソ連から外側のイデオロギーのみ受け継いだ中国は、世界中からのプレッシャーに晒された。9.11が起こったのは、アメリカをはじめとする世界の自由国家が共産主義の圧政に対して注目し始めた時である。しかし、9.11の後、世界の優先順位は突如変更した。対共産主義の戦いは据え置きとなり、代わりに対テロ戦争が始まった。これが中国共産党にしばらくの猶予を与え、共産主義が再び拡大するきっかけになった。

欧米諸国が中東で戦争を行っている間、大規模な資金の転送が中国とアメリカ間でこっそりと行われていた。共産主義が、もう一つの超大国を建設していたのである。

自由世界の陣営は、テロが引き起こした混乱に完全に心を奪われていた。彼らが共産主義の脅威から目をそらしている隙に、世界で展開していた主要な善と悪の戦いも延期されたのである。

5. 密かに繋がるテロと欧米の過激派

あるドイツの現代作曲家は、「それは全宇宙の中で存在しうる最も偉大な芸術作品だ」と言った。彼が言っているのはベートーベン交響曲第9番ではなく、9.11テロの事である。【65】

9.11事件の後、一部の過激な左寄りの欧米知識人たちがテロとその実行犯たちに声援を送った。あるアメリカ人のライターは、「バベルの塔」(つまり世界貿易センター)を崩壊させたテロリストを称賛した。また、ノーベル文学賞を受賞したあるイタリア人の劇作家は言った。「強大な投資家たちが経済を転がして、毎年何千万人もの人々を貧困の中で殺している。ニューヨークで2万人死亡したのが何だっていうんだ?」【66】コロラド大学ボルダー校のある教授は、世界貿易センターに勤務する人々を「ナチスの小さな親衛隊」と呼んだ。【67】

アメリカによるアフガニスタンとイラクへの軍事介入を阻止するため、過激な左翼たちは大規模な反戦運動を展開した。

アメリカの著名大学に在職する左派教授は大学でのスピーチで、アメリカは「テロの超大国である」とコメントし、ワシントンはアフガニスタンで「静かなる虐殺」を行っていると述べた。【68】

左翼は平和集会や討論会をアメリカ全土で行った。アメリカがアフガニスタンで対テロ戦争を実行している間、その教授はインド亜大陸へ2週間の出張に出かけ、イスラム教徒やヒンズー教たちに噂を広げた。彼はアメリカが300万~400万人のアフガニスタン人を飢餓によって殺す計画だと言った。

コロンビア大学の教授は、「(私は)個人的に、数百万人のモガディシュ(ソマリアの首都)が見たい」と話した。【69】1993年のモガディシュでの戦闘で、派遣されたアメリカ軍人18人がアルカイダによって殺害されたことを指している。

過激な左翼が始めた反戦運動は、対テロ戦争を妨げるためにアメリカを標的とした。

2003年2月、アメリカがイラクを攻撃する1カ月前、アル・ジャジーラ放送局は路上のアメリカ人を攻撃せよと呼びかけるビンラディンの姿を放映した。彼は公に、「十字軍に対する戦争の中で、ムスリムの利益と社会主義者の利益は一致した」と宣言した。【70】

ANSWER(戦争と人種差別を終わらせるために今行動を)という組織がメディアで盛んに取り上げられている。この組織のメンバーは主に社会主義者、共産主義者、左翼、あるいは進歩主義者である。組織の創立者の多くはインターナショナル・アクション・センターや労働者世界党などの過激な共産党系組織と繋がりがある。さらに別の団体「ナット・イン・アワー・ネーム」(Not in Our Name)も反戦運動に参加する団体だ。これはアメリカの革命共産党の前衛組織で、マルクス・レーニン主義を掲げ、中国共産党とも繋がりがある。【71】

テロを美化し、反戦運動を繰り広げるのと同時に、法曹界の左翼たちは9.11以降、テロ対策を強化するために制定された米国愛国者法をストップするのにも余念がなかった。決議が可決する以前、FBIはテロリストへの資金援助の疑いがあった南フロリダ大学のコンピューター・サイエンス教授サミ・アル・エイリアン(Sami al-Arian)を逮捕するまでに7年間待たなければならなかった。もし米国愛国者法が早い時期に制定されていれば、エイリアンの逮捕により9.11を防げたかもしれない。【72】

盲目のテロリスト、オマル・アブドッラフマーン(Sheikh Omar Abdel-Rahman)は1993年に世界貿易センター爆破を計画したが逮捕され、1995年に終身刑を言い渡された。彼の弁護士リン・スチュワート(Lynne Stewart)は何度も刑務所を訪れ、中東にいる彼の信奉者たちへメッセージを伝えた。アブドッラフマーンは、テロ活動を続けるようにと呼びかけた。驚くべきことに、スチュワートは2005年に有罪判決を受けた後、左翼のヒロインとなり、大学やロー・スクールなどに何度も招待され、講演活動を行っている。【73】

デイビット・ホロウィッツ(David Horowitz)は著書『Unholy Alliance: Radical Islam and the American Left』(仮題:不自然な同盟:過激派イスラムとアメリカ左翼)の中で、過激派イスラムと過激派左翼の俗悪な繋がりを暴露している。彼の調査によれば、世界中の過激派左翼はイスラムのジハードを庇(かば)うために働いているという。【74】

テロを支援し、西洋の民主国家に対抗することは、過激派左翼が西洋社会を内部から崩壊させるための長征の一部である。左翼は彼らの目標を達成するためならどんな手段も選ばない。表面的に見れば、左翼のイデオロギーとイスラム過激派には何の共通点もない。しかし、西洋社会に対抗するという彼らの目標が一致したため、有害極まる同盟が組まれたのであり、それはまた共産主義にとって強力な武器となったのである。

結論

パリ・コミューンとレーニンによる暴力の制度化、また中国共産党による国家全体の迫害まで、共産主義は常にテロを用いて目的を達成する。さらに、共産主義は国境を越えて、他国のグループや一部の人々を操り、テロを実行させ、分断を図り、幕を張り巡らして敵を欺く。科学技術の進歩により、テロリストはより簡単に大勢の市民を殺害することが可能になった。

テロリストは暴力で社会を混乱させ、恐怖によって人々を支配する。目標を達成するために、彼らは普遍的な人間の価値観に違反する。彼らの考え方の奥底に、共産主義のルーツが見えてくるだろう。なぜならば、共産主義のイデオロギーが、彼らの邪悪な価値観に理論的な枠組みを与えたのだから。

イスラム過激派による最大の犠牲者は、彼らの出身国に住む人々である。メディアが報道するのは主に欧米で起きたテロ事件だが、最も被害の多いのはイスラム教徒が住む地区である。同様に、共産主義が殺害した1億人以上の人々は、共産主義政権に支配された地域の人々である。

テロと共産主義は一心同体である。世界で起こっているテロ事件の最大のルーツは、共産主義である。この毒入りのルーツを除去しない限り、人類が心休まる日を迎えることはない。われわれが世界を蝕むテロの裏に共産主義があることをはっきりと認識し、伝統的な道徳と信仰に基づいて自衛を固めれば、この邪悪に立ち向かうことができるだろう。

第十四章第十六章(上)

参考文献

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[4] Carey Goldberg, “‘Red Saturday’ Not Such a Celebration for Lenin,” Associated Press, April 21, 1990,https://apnews.com/0f88bdb24ea112b606c9c56bca69e9dd; Francis X. Clines, “Upheaval in the East; Soviet Congress Debates New Presidency,” The New York Times, March 13, 1990, https://www.nytimes.com/1990/03/13/world/upheaval-in-the-east-soviet-congress-debates-new-presidency.html.

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[8] Ion Mihai Pacepa, “Russian Footprints,” National Review, August 24, 2006, https://www.nationalreview.com/2006/08/russian-footprints-ion-mihai-pacepa/.

[9] Ion Mihai Pacepa and Ronald Rychlak, Disinformation: Former Spy Chief Reveals Secret Strategies for Undermining Freedom, Attacking Religion, and Promoting Terrorism (Washington D.C.: WND Books, 2013), Chapter 33.

[10] 〈911恐怖分子袭击事件之后:国内言论摘登〉,《当代中国研究》,2001年第4期, http://www.modernchinastudies.org/us/issues/past-issues/75-mcs-2001-issue-4/596-911.html。

[11] Paul Berman, “The Philosopher of Islamic Terror,” The New York Times Magazine, March 23, 2003, https://www.nytimes.com/2003/03/23/magazine/the-philosopher-of-islamic-terror.html.

[12] Raymond Ibrahim, “Ayman Zawahiri and Egypt: A Trip Through Time,“ The Investigative Project on Terrorism: A Special Report, November 30, 2012, https://www.investigativeproject.org/3831/ayman-zawahiri-and-egypt-a-trip-through-time.

[13] Quoted in Dale C. Eikmeier, “Qutbism: An Ideology of Islamic-Fascism,” Parameters (Spring 2007), 85–98, http://strategicstudiesinstitute.army.mil/pubs/parameters/Articles/07spring/eikmeier.pdf.

[14] Hassan Hassan, The Sectarianism of the Islamic State: Ideological Roots and Political Context (Washington: Carnegie Endowment for International Peace, 2016), 26, https://carnegieendowment.org/files/CP_253_Hassan_Islamic_State.pdf.

[15] Andrew McGregor, “Al-Qaeda’s Egyptian Prophet: Sayyid Qutb and the War On Jahiliya,” Terrorism Monitor 1, No. 3, https://jamestown.org/program/al-qaedas-egyptian-prophet-sayyid-qutb-and-the-war-on-jahiliya/.

[16] Robert R. Reilly, The Roots of Islamist Ideology (London: Centre for Research into Post-Communist Economies, 2006), 4, http://crce.org.uk/briefings/islamistroots.pdf.

[17] Paul Berman, “The Philosopher of Islamic Terror,” The New York Times, March 23, 2003, https://www.nytimes.com/2003/03/23/magazine/the-philosopher-of-islamic-terror.html.

[18] Andrew McGregor, “Al-Qaeda’s Egyptian Prophet: Sayyid Qutb and the War On Jahiliya,” Terrorism Monitor 1, No. 3, https://jamestown.org/program/al-qaedas-egyptian-prophet-sayyid-qutb-and-the-war-on-jahiliya/.

[19] A. E. Stahl, “ ‘Offensive Jihad’ in Sayyid Qutb’s Ideology,” International Institute for Counter-Terrorism, March 25, 2011, https://www.ict.org.il/Article/1097/Offensive-Jihad-in-Sayyid-Qutbs-Ideology#gsc.tab=0.

[20] Andrew McGregor, “Al-Qaeda’s Egyptian Prophet: Sayyid Qutb and the War On Jahiliya,” Terrorism Monitor 1, No. 3, https://jamestown.org/program/al-qaedas-egyptian-prophet-sayyid-qutb-and-the-war-on-jahiliya/.

[21] A. E. Stahl, “ ‘Offensive Jihad’ in Sayyid Qutb’s Ideology,” International Institute for Counter-Terrorism, March 25, 2011, https://www.ict.org.il/Article/1097/Offensive-Jihad-in-Sayyid-Qutbs-Ideology#gsc.tab=0

[22] Andrew McGregor, “Al-Qaeda’s Egyptian Prophet: Sayyid Qutb and the War On Jahiliya,” Terrorism Monitor 1, No. 3, https://jamestown.org/program/al-qaedas-egyptian-prophet-sayyid-qutb-and-the-war-on-jahiliya/.

[23] Roxanne L. Euben, “Mapping Modernities, ‘Islamic’ and ‘”Western’,” in Border Crossings: Toward a Comparative Political Theory, ed. Fred Reinhard Dallmayr (Lanham, MD: Lexington Books, 2013), 20.

[24] Vladimir Lenin, What Is to Be Done? Trans. Joe Fineberg and George Hanna, https://www.marxists.org/archive/lenin/works/1901/witbd/.

[25] Glenn E. Robinson, “Jihadi Information Strategy: Sources, Opportunities, and Vulnerabilities,” in Information Strategy and Warfare: A Guide to Theory and Practice, eds. John Arquilla and Douglas A. Borer (London: Routledge, 2007), 92.

[26] 同上。

[27] 同上。

[28] Andrew McGregor, “Al-Qaeda’s Egyptian Prophet: Sayyid Qutb and the War On Jahiliya,” Terrorism Monitor 1, No. 3, https://jamestown.org/program/al-qaedas-egyptian-prophet-sayyid-qutb-and-the-war-on-jahiliya/.

[29] 同書の原文はアラビア語で,多くのムスリムのウェブサイトで一部の英訳やアラビア語の原著の写真を見ることができます。例えば:“Impaling Leninist Qutbi Doubts: Shaykh Ibn Jibreen Makes Takfir Upon (Declares as Kufr) the Saying of Sayyid Qutb That Islam Is a Mixture of Communism and Christianity,” http://www.themadkhalis.com/md/articles/bguiq-shaykh-ibn-jibreen-making-takfir-upon-the-saying-of-sayyid-qutb-that-islam-is-a-mixture-of-communism-and-christianity.cfm。

[30] Damon Linker, “The Marxist Roots of Islamic Extremism,” The Week, March 25, 2016, http://theweek.com/articles/614207/marxist-roots-islamic-extremism.

[31] Chuck Morse, Islamo-Communism: The Communist Connection to Islamic Terrorism (City Metro Enterprises, 2013), Introduction.

[32] Antero Leitzinger, “The Roots of Islamic Terrorism,” The Eurasian Politician, No. 5 (April-September 2002), http://users.jyu.fi/~aphamala/pe/issue5/roots.htm.

[33] Lawrence Wright, The Looming Tower: Al-Qaeda and the Road to 9/11 (New York: Knopf Publishing Group, 2006), 21.

[34] Dawn Perlmutter, Investigating Religious Terrorism and Ritualistic Crimes (New York: CRC Press, 2004), 104.

[35] The 9/11 Commission Report, The National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States, 72, https://www.9-11commission.gov/report/911Report.pdf.

[36] Michael Scheuer, Through Our Enemies’ Eyes: Osama bin Laden, Radical Islam, and the Future of America, 2nd ed. (Washington: Potomac Books, 2006), 114.

[37] Lawrence Wright, The Looming Tower: Al-Qaeda and the Road to 9/11 (New York: Knopf Publishing Group, 2006), 36.

[38] Lawrence Wright, “The Man Behind Bin Laden: How an Egyptian Doctor Became a Master of Terror,” The New Yorker, September 16, 2002, https://www.newyorker.com/magazine/2002/09/16/the-man-behind-bin-laden.

[39] Lawrence Wright, The Terror Years: From Al-Qaeda to the Islamic State (New York: Vintage Books, 2016), 17.

[40] Lawrence Wright, The Looming Tower: Al-Qaeda and the Road to 9/11 (New York: Knopf Publishing Group, 2006), 36.

[41] Glenn E. Robinson, “The Four Waves of Global Jihad, 1979-2017,” Middle East Policy XXIV, No. 3 (Fall 2017), 70.

[42] Glenn E. Robinson, “Jihadi Information Strategy: Sources, Opportunities, and Vulnerabilities,” in Information Strategy and Warfare: A Guide to Theory and Practice, ed. John Arquilla, Douglas A. Borer (London: Routledge, 2007), 88.

[43] Glenn E. Robinson, “The Four Waves of Global Jihad, 1979-2017,” Middle East Policy, Vol. XXIV, No. 3 (Fall 2017), 85.

[44] Anthony Bubalo and Greg Fealy, “Between the Global and the Local: Islamism, the Middle East, and Indonesia,” The Brookings Project on U.S. Policy Towards the Islamic World, No. 9 (Oct. 2005):7, https://www.brookings.edu/wp-content/uploads/2016/06/20051101bubalo_fealy.pdf.

[45] Robert Manne, “Sayyid Qutb: Father of Salafi Jihadism, Forerunner of the Islamic State,” The ABC, November 7, 2016, http://www.abc.net.au/religion/articles/2016/11/07/4570251.htm.

[46]Joshua Sinai, “Mining the Roots of the ‘Why and How’ of Terrorism,” The Washington Times, October 31, 2017, https://www.washingtontimes.com/news/2017/oct/31/book-review-the-mind-of-the-islamic-state-by-rober/.

[47]Seth G. Jones, A Persistent Threat: The Evolution of al Qa’ida and Other Salafi Jihadists (Rand Corp, 2014), 64-65, https://www.rand.org/content/dam/rand/pubs/research_reports/RR600/RR637/RAND_RR637.pdf.

[48]2011 Report on Terrorism, National Counterterrorism Center, 14, https://fas.org/irp/threat/nctc2011.pdf.

[49] Country Reports on Terrorism 2016, Bureau of Counterterrorism and Countering Violent Extremism, https://www.state.gov/j/ct/rls/crt/2016/272241.htm.

[50] Alex Nowrasteh, Terrorism and Immigration: A Risk Analysis, Cato Institute, September 13, 2016, https://object.cato.org/sites/cato.org/files/pubs/pdf/pa798_1_1.pdf.

[51] 时延春:〈周恩来与中东〉,《党史纵横》,2006年第一期,页7-8, http://waas.cssn.cn/webpic/web/waas/upload/2011/06/d20110602193952375.pdf。

[52] “U.S. Orders Closure of Palestine Information Office – Department Statement, September 15, 1987 – Transcript,” US Department of State Bulletin, November, 1987,https://web.archive.org/web/20090808192756/http://findarticles.com/p/articles/mi_m1079/is_n2128_v87/ai_6198831/.

[53] Andrea L. Stanton, Edward Ramsamy, Carolyn M. Elliott, Peter J. Seybolt, eds., Cultural Sociology of the Middle East, Asia, and Africa: An Encyclopedia, Vol. 1 (Los Angeles: SAGE, 2012), 274.

[54] Stefan Aubrey, The New Dimension of International Terrorism (Zürich: vdf Hochschulverlag AG an der ETH, 2004), 34.

[55] Stefan Aubrey, The New Dimension of International Terrorism (Zürich: vdf Hochschulverlag AG an der ETH, 2004), 34-36.

[56] S. Frederick Starr, Xinjiang: China’s Muslim Borderland, 1st Ed. (London: Routledge, 2004), 149.

[57] John Hooper, “Claims that China Paid Bin Laden to See Cruise Missiles,” The Guardian, October 20, 2001, https://www.theguardian.com/world/2001/oct/20/china.afghanistan.

[58] Ted Galen Carpenter, “Terrorist Sponsors: Saudi Arabia, Pakistan, China,” The Cato Institute, November 16, 2001, https://www.cato.org/publications/commentary/terrorist-sponsors-saudi-arabia-pakistan-china.

[59] “China’s Role in Osama bin Laden’s ‘Holy War’ On America,” The Population Research Institute 3, No. 23, https://www.pop.org/chinas-role-in-osama-bin-ladens-holy-war-on-america/.

[60] Yitzhak Shichor, “The Great Wall of Steel Military and Strategy in Xinjiang,” in Xinjiang: China’s Muslim Borderland, ed. S. Frederick Starr (London: Routledge, 2004), 158.

[61] John O. Edwards, “China’s Military Planners Took Credit for 9/11,” NewsMax, September 24, 2002, https://rense.com/general29/sdspl.htm.

[62] “Chinese Firms Helping Put Phone System in Kabul,” The Washington Times, September 28, 2001, https://www.washingtontimes.com/news/2001/sep/28/20010928-025638-7645r/.

[63] D. J. McGuire, “How Communist China Supports Anti-U.S. Terrorists,” Association for Asian Research, September 15, 2005, http://www.asianresearch.org/articles/2733.html.

[64] Jamie Glazov, United in Hate: The Left’s Romance with Tyranny and Terror (Los Angeles: WND Books, 2009), Chapter 14.

[65] 同上。

[66] “Ward Churchill Profile,” Discoverthenetworks.org, http://www.discoverthenetworks.org/individualProfile.asp?indid=1835.

[67] Jamie Glazov, United in Hate: The Left’s Romance with Tyranny and Terror (Los Angeles: WND Books, 2009), Chapter 14.

[68] “Nicholas De Genova Profile,” Discoverthenetworks.org, http://www.discoverthenetworks.org/individualProfile.asp?indid=2189.

[69] Jamie Glazov, United in Hate: The Left’s Romance with Tyranny and Terror (Los Angeles: WND Books, 2009), Chapter 14.

[70] 同上。

[71] 同上。

[72] “Lynne Stewart Profile,” Discoverthenetworks.org, http://www.discoverthenetworks.org/individualProfile.asp?indid=861.

[73] David Horowitz, Unholy Alliance: Radical Islam and the American Left (Washington D.C.: Regnery Publishing, Inc., 2004), 37.

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